バレーボールとジャニーズ

さっきテレビをつけたらワールドカップバレーをやっていたので、回想がてら思い出話をしようと思います。

 
 
私がバレーボールにハマったのは今から12年前、2003年のワールドカップでした。柳本晶一監督率いる全日本女子チーム。吉原キャプテン、セッター竹下、エース高橋みゆき、センター杉山、若さ溢れるメグカナコンビ、スーパー女子高生木村沙織。今も全員覚えてるし、わくわくするメンバーです。拾って繋ぐ日本バレー。おもしろくてしょうがなかったですね。親にうるさいって言われるくらいテレビの前で騒ぎながら応援していました。
 
そしてワールドカップと言えばジャニーズ。2003年はNEWSがスペシャルサポーターでした。でも当時の私はw-inds.ヲタクをやっており、ジャニーズには全く興味がありませんでした。ワールドカップ期間毎日見ててもなんとも思わなかったですね。むしろ、なんでこの人たち試合前にこんなことしてるんだろうって思ってました。笑 なので当時はメンバーなんて誰が誰だか(さすがに山Pは知ってました)状態でしたが、曲だけはなんとなくわかる、ってやつでした。
 
ワールドカップ後も私のバレーボール熱は冷めることなく、テレビでやる試合は全部見たし、バレーボールマガジンも買ってました。相変わらず収集系ヲタクは健在。大学で東京に行って、絶対バレーボール見に行く!!!とも言っていました。結局実現していないのは内緒です。笑 そのまま4年が経ち、またワールドカップの季節がやってきました。
 
2007年ワールドカップ。そうです、スペシャルサポーターはHey!Say!JUMPでした。私、実は相当前から彼らを見ていたんです。もちろんいますよ、伊野尾くん。だがしかし、何年もバレーボールにくっついてくるNEWSを見ていた結果、いよいよ嫌気がさしていたんです。
 
私  は  バ  レ  ー  ボ  ー  ル  が  見  た  い  ん  だ  よ
 
試合前にJUMPが歌います、踊ります。こっちはもはやイライラしています。笑 お母さんに馬鹿みたいに文句を言っていたのを覚えています。うるさい、コートで歌うな、バレーのことわかってないくせに。極め付けには、同じ平成生まれとして恥ずかしい、と。当時の自分をぶん殴ってやりたいです。笑 し、いつ誰に刺されてもおかしくない発言ですよね。笑 彼らも精一杯がんばっていたのに。高校生になってw-inds.ヲタクも卒業し、生粋のドルヲタの私だからいつどんなアイドルにハマってもおかしくない状況。ただ、出会い方がよくなかったですね。笑 今の自分がどうがんばっても手にすることのできない、デビューからJUMPを応援するっていうチャンスを、自分からみすみす逃していたなんて。
 
結局そのままJUMPのことはよく知らないけど嫌い。食わず嫌い状態でした。メンバーも山田知念くらいしかちゃんと認識していなかったですね。薮、高木でギリギリ。伊野尾、誰それ、地図作ってんの?状態でした。いや、もはや名前聞いたことすらない。あーほんとにもったいない。高校生になってからは、たまたま入った部活が強豪校という不運で毎日毎日休むひまなく練習、夜になったら暗くて見えなくなるくらい真っ黒に焼けながら生きてきた私。そもそもテレビなんて見る時間もないし、偶然ですが周りにジャニヲタが1人もいない環境だったため、アイドルからもしばらくは離れていました。その時の反動ですかね、大人になってからはまあひどいひどい。笑
 
あの時のHey!Say!JUMPをちゃんと見ていれば、そもそももっと遡ってNEWSをちゃんと見ていれば。関ジャニ∞との出会いすらももっと早かったかもしれない。本当にもったいないですね。逆に言えば、当時の自分からすればまさか自分がJUMPにハマるだなんて考えられないでしょうね。光くんと誕生日が同じで嫌がっていたことも懐かしい。笑 本当に、人生何が起こるかわからないですね。おもしろい。
 
 
スーパー女子高生木村沙織ももう29歳になりました。私のバレーボールブームの最盛期のメンバーも、もう残っているのは彼女だけです。木村沙織2世なんて言われてる子も出てきたんですね。引退も近いのかもしれないけど、まだまだがんばってほしいです。
 
以上、思い出話でした。
 

そして、担降り

さて、丸山担の私、伊野尾担の私、の話をしましたが、今1番思うこと、残しておきたいことを話しましょう。


約1年かけもちしてきたわけですが、もちろん最初は丸山メインでやってきました。と、今までは言っておりましたが、本当のことを言います。正直伊野尾担になった瞬間から、序列は一気にひっくり返っていたんだと思います。思い当たる節がありすぎます。

まず、去年私はとある番組の番協に行きました。丸山さんが出演した番組です。スタジオっていう狭い空間で丸山さんに会える!っていう気持ちももちろんありましたが、その直前、私は最大級の裏切り行為をしています。実は集合時間の前に初めてJUMPのCDを買って、それをかばんに入れた状態で番協に行ったんです。笑 丸山さんに会うのも楽しみだったけど、家に帰ってJUMPのメイキングを見るのも楽しみにしてたんです。これは自分的にもかなりバツが悪い気持ちではありました。

次に、去年のエイトのツアー東京ドーム。エイトも見たかったけど、見学に来るであろうJUMPを見たい気持ちが強かったです。東京なら絶対来ると思って、3公演全部入りました。予想通りJUMPは見学に来ましたが、まさかの1日目にバルコニーだなんて盲点だったため、結局伊野尾くんは見れずでしたが。それにしても私最低ですね。

今年に入ってからは、JUMPのツアーとエイトのリサイタルが同時期にあり、日にちがかぶっている所はJUMPを優先する気満々でしたし、結局仕事の都合もありますがリサイタルは行かないことにして、JUMPに力を入れることにしました。

もう完全に伊野尾優先です。確かに伊野尾くんが好きだって気持ちが強いのもありますが、どうしてだろう。丸山さんが嫌いになったわけではないのに…自分の中でも不安や疑問はありました。でも1つだけ、心当たりがあります。

丸山さんがぬ〜べ〜をやることになった時。あの頃の丸山さんはすごく充実してるのが伝わってきていました。ビジュアルも仕上がっていたし、共演者さんからのコメントや雑誌等での本人の発言から、丸山さんの自信が見えていました。本当にあの頃の丸山さんは輝いていたと思います。ただ、それが、私にはまぶしすぎたのです。

前に書いた通り、私が伊野尾くんと出会った時は人生のドン底にいました。これは時期的に丸山さんがぬ〜べ〜始まるくらいとかぶっています。この時の私には、素敵な仲間に囲まれて充実していて、自信に満ち溢れている丸山さんを見るのが辛すぎたのです。嫉妬、とはまた違うと思いますが、なんだかよくわからない劣等感を感じたんですよね。凄すぎてついていけない。私から、目を背けたんです。それに対して伊野尾くんは私と同じ目線まで下りてきてくれた。私の気持ちが変わるには十分でした。

もうだいぶ前から決まっていたのでしょう。でも、担降りを認めることはできなかった。丸山さんは悪くないのに。まあここ最近のビジュアルの悪さには多少腹は立ちましたけれども。しかも私の気持ちに反してエイト運は恵まれてて、席もいいし丸山さんからファンサもらうし、降りたくはないなっていう気持ちでした。今はただ冷め期なんだと。それでもじわじわと立場は逆転し、ツイッターのアイコンも丸山さんから2人、2人から伊野尾くんに変わり、つぶやく内容もほとんどJUMP。何も知らない人が見たらかけもちだなんてわからないでしょう。このままだらだら中途半端にしていくのかな…って思っていました。きのうまでは。

2015年8月23日。
Hey!Say!JUMPがV6と共に初めてのメインパーソナリティーを務めた24時間テレビが終わったその夜、北海道。目撃情報があがりましたね。私、なにも感じなかったんです。ショック!とか、それでも好きだ!とか、目撃されるなんて意識低い!とか、どの感情も起きなくて、無だったんですよ。その瞬間、ああ、やっぱり私はもうこの人に興味がないんだ。って思いました。別に事実に対して肯定も否定もしませんし、気が付いたのが今回がきっかけだっただけなので、そこは勘違いされたくはないですけど。気が付いたというか、やっと認めたという感じですかね。最後は完全に情だったんです。それにも気づいていたんです。でも認めたくなかったんです。担降りなんて所詮ヲタクの自己満足で、他人からしたらだからどうしたって話ですが、これが当の本人からしたらかなり大きなことなんですよね。それも降りてヲタクを辞めるのではなく、他に降りるっていうのがまた…別になににも縛られていないのに、罪の意識を感じました、私は。笑 さすが気持ち悪いヲタク。笑

そういうわけできのうですね、丸山担を降りる宣言をしました。こうして文章にしたのも自分が思い出せるようにっていうためだけなんで、いくらでも担降りブログ気持ち悪いって思っていただいてけっこうです。実際前に書いた丸山さんに関してなんて、もう全然思い出せなくて、当時はもっと大好きで思いをたくさん書けたはずなのに。もっと早く文章にしておけばよかったなーって思います。

ただ今回これを書いてみて気づいたのは、関ジャニ∞から入った丸山隆平、伊野尾慧から入ったHey!Say!JUMP、最初の形に戻ったんだなーって。エイトはこれからもフラットな気持ちで応援していくつもりだし、ライブにも普通に行く気でいます。笑 ただ、丸山団扇を持たなくなるってことね。虹色なんてアホなことは言いませんが。笑


これで私の自己満のお話はおしまいです。ヲタク人生山あり谷ありいろいろあり!!!

伊野尾慧と私

さて、丸山担になって2年が経ち、3年目を迎えようとしたくらいの頃、思ってもみないことになりました。その話をするには、当時の私の置かれた状況についても説明しなくてはなりません。


 
その頃私はこれまた諸事情によりフリーターをしていたのですが、その時のバイト先で、孤立、しました。簡単に言うと、その時親友とも言えた子と仕事のやり方というか取り組み方でぶつかってしまい、周りもみんなその子に賛同したんですよね。今思えばどっちも悪いところはあったのでしょうが。唯一私の味方だった人も異動してしまい、なにも知らない店長はこれまで通り私をリーダー扱いするし、事情がわからない子たちの前では気付かれないように笑顔で過ごさないといけない。居場所がなくなって、本当に辛い時期でした。辞めようかとも思ったけど、その後やりくりしていく自信もなかったし、関ジャニ∞10周年に向けてお金に余裕がないといけなかった。毎日ひたすら我慢して働いていました。
 
何も楽しくない。仕事を終えて帰ってきては、唯一の楽しみであったエイトの映像をひたすら見ていました。でもふとした瞬間にまた考えてしまう。気を抜ける時間も少なくなってきて、けっこう追い込まれていたと思います。ちょうどそんな時期のこと。
 
2014年の9月でした。動画サイトでエイトを見ていて、たまたま何の気なしに関連動画から他のグループを見ていたんです。いろいろ巡って辿り着いたところに、あの子がいました。
 
Hey!Say!JUMP
ちゃんと知ってるのは山田くんくらいで、人数も多いし知らない人もいました。あー、山田くんおっきくなったなあ…ってぼーっと見ていたその時。後ろにいたんです。めちゃくちゃかっこいい子が。もう、一瞬で持っていかれました。一目惚れってきっとこんな感じなんだと思う。
 
それが伊野尾慧と私の出会いでした。すぐに調べて名前を知って、それから画像フォルダが伊野尾くんでどんどん埋め尽くされていきました。ひまさえあれば動画をひたすら見て、かっこいいかっこいいって。まさに現実逃避するかのようでした。
 
2014年9月12日。
この日初めてツイッターで伊野尾慧の名前が出ました。最近Hey!Say!JUMPの伊野尾くんが気になる、と。でも同時に、かけもちする気はない!と宣言していました。私には関ジャニ∞、丸山さんだけだから。現実的にかけもちするお金もないし。でも伊野尾くんを調べれば調べるほど、新しく知ることばかりで楽しかった。辛かった時期、それだけが楽しみになっていきました。
 
そんなことだから、伊野尾くんにハマるのも時間の問題でした。最初に名前が出てからたった2週間後、伊野尾担を名乗るか迷ってる発言をしていました。早い、早すぎる。笑 エイトの時と違って、ヲタクのなり方を知っていたが故でしょう。それにしても当時の自分の意志の弱さに笑える。
 
1万字インタビューももちろんソッコー買いました。正直あの頃の伊野尾くんは、ネットに情報が少なすぎた。顔はバツグンにかっこよくて、私の好みど真ん中だけど、彼がどんな人なのかがまだわからなかった。1万字を読んで思ったのは、私はなんだかすごい人を好きになってしまったみたい。自分の語彙力が少なすぎて上手く伝えられないのが悔やまれるくらい素敵な人だった。
 
 
「そもそも苦労をしたりとか、つらいだの、大変だのっていうのは、この世界だけのことじゃないし。これを読んでる、みんなもしてる。みんな大変な思いをしてるし、挫折とかも味わってると思う。」
 
 
この言葉に、当時の私がどれだけ救われたことか。まさにつらい時期の真っ只中だった私。居場所がないって、誰にも言えなかった。全部自分の中で抱え込んで、吐き出せなかった。でも、なんだか聞いてもらえたような気がした。わかってもらえたような気がした。伊野尾くんは、私をドン底から救ってくれた。
 
結局丸山さんとのかけもちを初めて、そろそろちょうど1年が経ちます。伊野尾革命と呼ばれていたあの時期、そこで堕ちてしまった私は伊野尾革命って言葉を使いたくないです。笑 でも本当に、いろんな意味でいい時期に出会えたなって思います。もっと早ければ…とも思うけど、それでも今この瞬間伊野尾担でいられて最高に幸せだと思ってます。
 
正直伊野尾くんとの出会いを思い出す度に嫌なことも思い出すことにはなります。でもあの時があったからこそこんなに好きなんだろうから、しょうがない、うん。笑 
 
 
で、ここまでを踏まえた上で、今思うことを次にお話したいと思います。

関ジャニ∞と私

どうも、金太郎です。

今の気持ちや状況を残しておきたいので、文章にしようと思います。

 

 

まずは関ジャニ∞と私。

遡ること3年前。2012年8月1日。

それまで彼らとは無縁どころか関ジャニ∞っていうグループすら知らなかった私。初めて彼らを見たのが、エイトレンジャーの番宣で出てたほんまでっかTVでした。たまたまついてたテレビに映っていた彼ら。最初の印象は、おもしろい兄ちゃんたち。よく見たら全員かっこいいし。あ、でも何人か見たことあるなって。残念ながら丸山、安田、大倉は全く知らなかったけど。笑

 

当時、諸事情によりまだ大学生だった私。友達はみんな卒業して社会人、バイトも土日しかしてなかったから時間だけは無駄にあり、気になってしまった以上は善は急げと動画サイトでひたすらエイトを見る日々が始まった。本当に何も知らなかったから、見るもの全てが新鮮で、楽しかった。たまたま後輩にその話をしたら、私もちょうど見たかったからってことでエイトレンジャーも映画館に見に行った。その後は案の定動画サイトも見尽くしてしまい、ライブDVD購入。こうして23歳の夏、いい大人が初めてジャニーズの世界に足を踏み入れました。

 

さてさて、大体関ジャニ∞にハマった時期は覚えてるのですが、担当というものを決めた時期は全く記憶にございません。最初はもう関ジャニ∞というグループが気になり、その中でも大倉くんがかっこいいかな♡って思ってたのは覚えてる。でも、私がいつ、そしてなぜ丸山担になったのかははっきり思い出せないんだよね…2012年だったことは間違いないのですが、正確な時期がわかりません。だけど丸山さんを選んでからはずっとdr期だったと言っても過言ではないでしょう。見た目もタイプとは違うし、周りにもなんで丸山!?って言われ続けたけど、まさに盲目ですね、何しててもかっこいい♡って言い続けてました。きっと丸山さんの人間性に惹かれたんでしょうね。こんなにいい人が芸能人できるの?って思ったし。丸山さんが作る関ジャニ∞の雰囲気が大好きでした。

 

アイドルにこんなにハマるのも10年ぶりくらいでしたが、そこは生粋のドルヲタな私、あっという間にどっぷりハマりました。ただ、ジャニーズは本当に未知の世界だったので、たまたま山P担だった後輩に教えてもらってたくさん勉強しました。もともと収集型のヲタクだったのでいろいろ集める集める。知らなかった頃を埋めるようにバンバンお金を使いました。笑 お金がある大人になってからジャニヲタになるのはよくないなーって実感してます。でもそんなこと気にならないくらい楽しい毎日でした。

 

関ジャニ∞、丸山さんは、つまらなかった毎日に楽しさをくれて、そのまま私の日常になりました。もはやいるのが当たり前。去年は10周年も一緒に迎えられて幸せでした。10周年、悔いなく過ごすって決めていたから、辛い時もがんばれたし、がんばった分だけちゃんと返ってきたし、本当に最高な10周年でした。関ジャニ∞、本当にいいグループだと思います。出会えてよかった。

 

 

ただ、今少しずついろんなことが変わってきました。次はその話をしようと思います。