伊野尾慧と私

さて、丸山担になって2年が経ち、3年目を迎えようとしたくらいの頃、思ってもみないことになりました。その話をするには、当時の私の置かれた状況についても説明しなくてはなりません。


 
その頃私はこれまた諸事情によりフリーターをしていたのですが、その時のバイト先で、孤立、しました。簡単に言うと、その時親友とも言えた子と仕事のやり方というか取り組み方でぶつかってしまい、周りもみんなその子に賛同したんですよね。今思えばどっちも悪いところはあったのでしょうが。唯一私の味方だった人も異動してしまい、なにも知らない店長はこれまで通り私をリーダー扱いするし、事情がわからない子たちの前では気付かれないように笑顔で過ごさないといけない。居場所がなくなって、本当に辛い時期でした。辞めようかとも思ったけど、その後やりくりしていく自信もなかったし、関ジャニ∞10周年に向けてお金に余裕がないといけなかった。毎日ひたすら我慢して働いていました。
 
何も楽しくない。仕事を終えて帰ってきては、唯一の楽しみであったエイトの映像をひたすら見ていました。でもふとした瞬間にまた考えてしまう。気を抜ける時間も少なくなってきて、けっこう追い込まれていたと思います。ちょうどそんな時期のこと。
 
2014年の9月でした。動画サイトでエイトを見ていて、たまたま何の気なしに関連動画から他のグループを見ていたんです。いろいろ巡って辿り着いたところに、あの子がいました。
 
Hey!Say!JUMP
ちゃんと知ってるのは山田くんくらいで、人数も多いし知らない人もいました。あー、山田くんおっきくなったなあ…ってぼーっと見ていたその時。後ろにいたんです。めちゃくちゃかっこいい子が。もう、一瞬で持っていかれました。一目惚れってきっとこんな感じなんだと思う。
 
それが伊野尾慧と私の出会いでした。すぐに調べて名前を知って、それから画像フォルダが伊野尾くんでどんどん埋め尽くされていきました。ひまさえあれば動画をひたすら見て、かっこいいかっこいいって。まさに現実逃避するかのようでした。
 
2014年9月12日。
この日初めてツイッターで伊野尾慧の名前が出ました。最近Hey!Say!JUMPの伊野尾くんが気になる、と。でも同時に、かけもちする気はない!と宣言していました。私には関ジャニ∞、丸山さんだけだから。現実的にかけもちするお金もないし。でも伊野尾くんを調べれば調べるほど、新しく知ることばかりで楽しかった。辛かった時期、それだけが楽しみになっていきました。
 
そんなことだから、伊野尾くんにハマるのも時間の問題でした。最初に名前が出てからたった2週間後、伊野尾担を名乗るか迷ってる発言をしていました。早い、早すぎる。笑 エイトの時と違って、ヲタクのなり方を知っていたが故でしょう。それにしても当時の自分の意志の弱さに笑える。
 
1万字インタビューももちろんソッコー買いました。正直あの頃の伊野尾くんは、ネットに情報が少なすぎた。顔はバツグンにかっこよくて、私の好みど真ん中だけど、彼がどんな人なのかがまだわからなかった。1万字を読んで思ったのは、私はなんだかすごい人を好きになってしまったみたい。自分の語彙力が少なすぎて上手く伝えられないのが悔やまれるくらい素敵な人だった。
 
 
「そもそも苦労をしたりとか、つらいだの、大変だのっていうのは、この世界だけのことじゃないし。これを読んでる、みんなもしてる。みんな大変な思いをしてるし、挫折とかも味わってると思う。」
 
 
この言葉に、当時の私がどれだけ救われたことか。まさにつらい時期の真っ只中だった私。居場所がないって、誰にも言えなかった。全部自分の中で抱え込んで、吐き出せなかった。でも、なんだか聞いてもらえたような気がした。わかってもらえたような気がした。伊野尾くんは、私をドン底から救ってくれた。
 
結局丸山さんとのかけもちを初めて、そろそろちょうど1年が経ちます。伊野尾革命と呼ばれていたあの時期、そこで堕ちてしまった私は伊野尾革命って言葉を使いたくないです。笑 でも本当に、いろんな意味でいい時期に出会えたなって思います。もっと早ければ…とも思うけど、それでも今この瞬間伊野尾担でいられて最高に幸せだと思ってます。
 
正直伊野尾くんとの出会いを思い出す度に嫌なことも思い出すことにはなります。でもあの時があったからこそこんなに好きなんだろうから、しょうがない、うん。笑 
 
 
で、ここまでを踏まえた上で、今思うことを次にお話したいと思います。